私が創った宝物
寒いですね~!!
あっという間に12月も半ばを過ぎてしまいました。
この1年はみなさんにとってはあっという間でしたか?
それとも、長い長い一年だったでしょうか?
私は、あっという間でもあったけど、
何だか10年分ぐらい思いと力がこもった深い深い一年でした。
ブログの移行をはじめ、誰もが安心して参加できるハンドメイド教室の場所の移動、
それに伴う自分自身の考え方の変化などなど。。。
いろんな事がいっぱいありました。
年末なので、一年を振り返りつつ、
心から自分が嬉しかった発見の事を書きたいと思います。
横浜ベットタウンの事
神奈川といえば横浜ですね。
横浜と聞くと、中華街や山下公園、
ちょっとオシャレな洋館を想像すると思います。
そして、東京の次に大都市なんじゃないかって。。
確かに横浜の本拠地である横浜駅~関内駅にかけては
東京の丸の内、新宿さながらの大都市です。
会社やオフィス、官庁も全てこの地区に集中しており、
たくさんの人が集まっています。
でも。。
東京~横浜までの区間は決して大都市とは言えない地域もあるんです。
東急東横線、京浜急行は昔から東京~横浜、桜木町を結ぶ線として有名ですが、
どちらかというと「海沿い」の路線。
ここは今も昔も大人気の路線で、
この路線沿いに住むことをプチセレブのステータスの一つとしている人も多くいます。
でも、ここ最近20年ぐらい前から、
この路線の反対側、山沿いの路線である「横浜市営地下鉄」沿線が、
高級住宅街として人気が出る様になりました。
神奈川在住の人ならご存じだと思いますが、
あざみ野~新横浜にかけての路線の発展ぶりは凄いですね。
センター北、センター南駅は横浜に行かなくても十分事足りてしまうほど、
便利な街だし、横浜にも関内にも出られる非常に便利なところです。
しかも、横浜、関内と違って、静かで安全な場所でもあります。
まさに、大都市横浜のベットタウンになっています。
希望の観覧車
今から25年前、この地域は見渡す限り、野原でした。
第三京浜~246の間にはほぼほぼ何もなく、
確かヤマザキのコンビニが第三京浜の出口に合っただけ。。
そして、その頃、ちょうどバブルがはじけ、
世の中もだんだんと暗くなってきました。
センター北、南地区はそのころ「港北区」「緑区」しかなく、
ここにニュータウンを建てる計画があったにも関わらず、
世の中の景気の影響で、次々と参戦企業が手を引いていきました。
私の会社は都内中心の事業をしていたので、
仕事の発注が来たときは、受注するのをちょっと検討していました。
でも、不景気の為、国家予算自体が削られ、工事もずいぶんと縮小されました。
そんな訳で、会社としては致し方なくここの地盤工事を引き受けたのですが、
その仕事のやりにくい事。。
山を開拓しながら、地下の地盤を整える事、
高速の出口の車の渋滞と闘いながら工程を進めていく事は、
本当に大変な事でした。
何よりも、社員がここの現場に行きたがらない事が一番大変でした。
私達の会社は、先代の社長の教えにより、
「残業はしたくねぇ!」
そんな会社なので、都内の本社に5時までに帰れないという事は、
あり得ないと思っているので、交通渋滞が大嫌いです。
更に「都市計画」なる、公共事業はお金にならない上に、
行政のいう事を聞く=国に屈するという事なので大嫌いでした。
更に更に。。建設業界でも実は「建築」「土木」は業界がやや違うので、
そこで働く人もちょっとだけ「苦手意識」があって、
仕事がやりずらい(;^_^A
そんな感じで着工した現場でした。
ある日、私が現場に査察に行ったとき、
車の中から、今の港北の完成予定図をみました。
アメリカの地方都市にあるアミューズメントデパート、
そしてその周りを囲むように建つ公園や、住宅街。。
観ているだけでも楽しくなるような街。
そう思ったら、受注先の会議に出ても良いかな~っと思い、
会議に出てみました。
バブルが崩壊した後、いろんな会社が手を引いて、
工事の工程が大幅に遅れてしまうため、
ある程度、赤字を出しても頑張れる企業しか参戦できない現状でしたが、
工事が途中だったため、そのまま放置はできません。
また、公共事業は、そこに住む人達の税金から支払われるので、
一番、損をするのはそこに住む住民の人達だという事です。
その話を聞いていたら、何だか私はこの工事は絶対に続行させないといけない気がしました。
綺麗ごとではなく、世の中のバブルがはじけたからといって、
安い仕事を断るの事は、お金で人の生活を天秤にかける感じがしたからです。
会社に帰り、自社で会議を開き、工事続行を検討してもらいました。
当時、本当に工事予算が乏しく、工事断念の可能性も十分あった中、
遠く関西の「阪急」さんが入り、何とか工事が続行しました。
みなさんは知ってましたか?
だからセンター北には阪急が建っているんです。
だから関西から転勤で来た人達が都筑区には多いんです。
そして。。。
あの観覧車はいろんな人の希望の観覧車なんです。
自分の居場所
そして現在、私はこの街のふもとで
単発ではありますが、ハンドメイドの教室やショップをしてます。
冒頭に書いたように、今年はいろんな事があって、
移動する事が多く、心身共に疲れていたのですが、
自分が作った街に帰ってきました。
決して意識したわけではなく、本当に偶然ここだったんです。
私達は「地盤」の方なので、出来上がった街を知りません。
でもなぜか、この沿線では私は絶対に迷子にならないんです。
そして、観覧車を見るたびに、ここが私の居場所なのだと思うんです。
未来を想像して作る事
先日、地元のお祭りがあり、駅前に出展した時の事ですが、
奥さんと娘さんにハンドメイドのシュシュを買ってくれたおじさんが、
「ここは何もなかったけど、本当に都会になったな~!
ホントビックリしちゃうよ。
ホント。。住みやすくなった。」
そう言ってくれました。
そして一緒に出展していた地元の人は、
「この街が良い香りの街になる様に、私達みんなで、
駅前や周辺にハーブを植えているんです。」
そう言ってくれました。
その言葉を聞き、私は涙が出るほど嬉しかったです。
まだ若かった私がどれほどの事ができたかはわかりません。
だけど、その街と思いをこんなに大切にしてくれる人が住んでいる事を知ると、
辛い事も全て、嬉しい事に変わります。
だから、私が何かを創るときは必ず未来を想像して作りたいと思います。
例えば、手袋を編むとしたら、
- 誰でも作ってみたくなるようなもので、
- 誰でも作れるもので、
- そして、それを知った誰かが、また誰かに教えるところ、
- 誰かにプレゼントしているところ、
- その手袋をつけて、温かいって思っているところ。。
そういう未来を想像して作っていこうと思います。
その昔、何もなかった野山を切り開き、
そこに住む人が幸せな家庭を作り、笑顔で毎日を過ごす事を想像したように、
誰かの笑顔を想像して、もの創りをしていこうと思います。
東袋の編み図
そういえば。。
なかなかアップできなかったのですが、
お問合せ頂いていた「東袋」の編み図をアップしておきます。
一緒にハンドメイドしませんか?
もし良かったら。。。
一緒に「優しいハンドメイド仲間」を作りませんか?
ハンドメイドのワークに参加しなくても、
一人でいるのは嫌、
誰かと一緒にいたい、
誰かに話を聞いてほしい、
そんな理由でも大丈夫です。
そういう事だって。。
これからの人生を生きるために思いをを作る事だからです。
是非ぜひ、私と一緒にハンドメイドしましょう^^